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明日のライターゼミ受賞作品「明智光秀ー革命のファンファーレ」

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明智光秀について
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今回の記事は、「明日のライターゼミ」での田中泰延さん講義【物書きは調べることが9割9分5厘6毛」】の課題「明智光秀について書く」で優勝を頂いた歴史コラムです。読者さんから読みたいという声を頂き、明日のライターゼミ主催者、西島知宏さんに確認したところ了承いただきましたので、掲載します^^

 

課題内容:悪役として語られがちな明智光秀の印象を変えるコラムを書く。

歴史&約8000字のコラムなので、読みたい人だけ読んでください(笑)

 

明智光秀ー革命のファンファーレ

ーーーーーーーーーー

戦国の時代に生きていた武将は、現代の者のように「平等」「公平無私」ということを体験 してこなかった。

多くの武将たちは「我こそは」「天下をとるものこそが強い」という前提で話を進めてくる。

だからすぐに、「お前は敵か味方か?」という肩書をつけたがる。

 

武将の皆様には申し訳ないが、今はそんな時代ではない。そして、そのような考え方は現代では通用しない。しかし、現代の我々と同じように「公平無私」、つまり物事を公平に進めようとした武将がいた。

その人物こそが、明智光秀なのだ。

 

 

ときは天正10年6月2日

革命のファンファーレは鳴った。

 

5 秒でわかる「本能寺の変」

 

天正10年6月2日 京都にある本能寺に宿泊していた織田信長が、明智光秀に寝込みを襲われるというハレン チな出来事。戦国史上最大のミステリーとも言われる。

 

敵が明智の軍勢だと知った信長は「是非に及ばず」という決め台詞を残すも、明智側の手勢 13,000 人に対し、本能寺宿泊の際、織田側の手勢 100 人足らず。逃げきれないと悟った信長は

 

「てか光秀、手勢多すぎ!w オワタ」

 

と、自ら本能寺に火を放ち自害した。 光秀は信長という恩人に対して、なぜ反旗を翻したのか?

光秀は、本当に悪者なのであろうか?

15 秒でわかる「本能寺の変:登場人物」

織田信長引用:matome.naver

織田信長。織田信成の先祖。フィギュアスケートはしたことがない。喧嘩っ早く、誰に対 しても「貴様」と呼んでいた(完訳フロイス日本史 2 より抜粋) 天下統一を目前に、明智光秀によりその生涯を絶たれた。

顔はちょっと猿に似ている。
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」と言われるほど、超短気な性格。

明智光秀引用:kotobank

明智光秀。1528 年に生まれ、1582 年に死んだ。本能寺の変から十数日後、秀吉によって殺されたことから三日天下と呼ばれている。ちょっぴり情けない感じ。

 

主君を裏切り殺害に至ったことから、悪者というイメージが強い。しかし、
「鳴かざれば 放してやろう ホトトギス」と言われるほど、冷静沈着で思いやりのある性格。

 

60 秒でイメージを変える「明智光秀って実はいい奴なんじゃね?」

 

「恩人に対して反旗を翻す、いわば裏切りによる殺害計画」この部分だけを切り取れば、 なるほど。光秀は悪者であり、弁護する余地なし。悪者決定であろう。

しかし「なぜ」反旗を翻したのか? 光秀の人となり、功績、信長との関係を「本能寺の変」から遡っていくと、不思議と光秀に心奪われてしまう。

 

あなたもきっと、光秀のことを知るほどに「光秀に心奪われる体験」をするだろう。 さて、本題に入る前にまずはここで軽いジャブ。「光秀悪者!」なイメージを少しでも払拭して頂くため、3 つエピソードを用意した。

 

光秀エピソード 1:

光秀は、戦で負傷した家臣へ見舞いの書状、つまりお手紙を送っていた。 光秀ったら女子力高めである。

 

例えるならばバルタン星人がラゴンにお手紙を書くようなものである。「マジでウルトラマン酷くね? ちょ! そんな気を落とすなって・・・ラゴンも頑張ったって・・・」

これでお判りいただけたであろう。光秀、女子並みに共感能力の高い男である。

 

光秀エピソード 2:

第三者の意見、宣教師フロイスから見た光秀はどうだったのであろうか?

その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐 力に富み、計略と策謀の達人であった。

出典:完訳フロイス日本史 2

つまり、光秀は頭がよく、物事を深く考えられる人、政治力に長けている人物であることがわかる。信長にも一目置かれ、忍耐もあり知的であったことが書物から伺い知れる。

 

総じていうと、いきなりプッチーんとブチ切れるような、短気な男ではないのだ。

光秀エピソード 3:

光秀は福知山に立派な城を築いたことから、福知山市民に異常に愛されている。福知山音頭には

明智光秀丹波を拡め ひろめ丹渡の福知山

出典:http://www.kisnet.ne.jp/~matikado/fukuondo.html

と、名前入りの歌詞まで存在する。ちょっと羨ましい。

ちなみに京都府福知山市には「明智茶屋」という、可愛いらしいカフェまで存在する。

引用:https://akechichaya.theshop.jp/

女子高生やOL達から「可愛くなくなくな〜い? やばめー!」と、語彙力を指摘したくなる 言葉が聞こえてくるようなお店だ。好奇心が高ぶってきたので、早速アポを取って店主にインタビューしてみた。

 

高桑(私※以下高桑):どうもはじめまして。明智さん、今回はよろしくお願いいたします。

 

明智さん(植村さん):明智じゃないです。植村です。

 

高桑:・・・なるほど。明智茶屋という店名なのに植村さんなのですね。

 

植村さん:そうですね。どうもスミマセン

 

高桑:いいえ、お気になさらずに。さて、お店について調べさせて頂きましたが「秀でて光るマドレーヌ」など明智光秀を意識したスイーツや、明智家の家紋入りスイーツなど多くあります ね。なぜ植村さんは明智光秀を支持されているのですか?好きになった理由やキッカケは何でしょう?

 

植村さん:世間一般で言えば、光秀は『天下の逆臣』と良いイメージがあまりありません。ですが、福知山市民からは絶大な支持を集めているのです。そこで興味を持ちましたね。

 

高桑:ありがとうございます。具体的にどういったところが、支持を集めている要因だと思われますか?

 

植村さん:これは店内に貼っている「明智光秀が好きになる理由」です。もう、ここに書いてあります。

高桑:なるほど、説明するのは面倒だからこれを読んでみろと?

 

植村さん:えっっ・・?! そんなつもりは・・!

 

高桑:なるほど。お前、これを読んどけよと(S 気質)

 

植村さん:・・・・・・??!?

 

高桑:嘘です! ありがとうございました!

 

植村さん:ありがとうございました。(こ・・怖かった・・)

 

光秀を好きになる 12 の理由を簡潔に書くと以下の通りだ。

1:ピュアな心の持ち主

2:福知山の救世主

3:明智家の家紋は、福知山市の花「桔梗」

4:間違いなくイケメン

5:謎が多いミステリアスなところ

6:農民に優しい

7:日本一の姓名

8:射撃の名手

9:人情深い

10:妻にも慕われていた

11:優れた教養があった

12:髪の毛が後退しているのではなく、光秀が進んでいる(大きなお世話)

光秀が民衆に愛されていたのが、これで少しお判り頂けるであろう。 ここに書かれているエピソードについては、以後、書き記していく。

 

革命のファンファーレは鳴った

 

信長殺害には、「怨恨説」よりも「黒幕説」よりも「野望説」よりも有力な説がある。

 

「四国説」だ。 この説こそが革命だ。

 

四国説により光秀の、信長に対する個人的な恨み・黒幕がいたのではないか? という憶測、天下をとりたかったという野望説の壁はなくなった。

そして、光秀の人となり、心の移り変わり、信長に対する見方、光秀に対する見方をも大 きく変えた。超高速回転で。

 

理由はこれから順を追って説明していくが、どうだろう? そのまま説明してもつまらない。歴史上の人物にだって言い分があるのだ。そして歴史上の人物だって、心の中で軽いツッコミをいれることだってあるだろう。そこで実際、歴史上の人物を法廷に面白半分で立たせてみた。

原告人:織田信長
被告人:明智光秀
弁護人:高桑(私)
検察官

冒頭陳述

検察官:被告人は天正 10 年 6 月 2 日、手勢約 13,000 人を引き連れ本能寺に攻め入り、 宿泊していた信長を完全に包囲した。信長軍はその時約100 名。もう逃げきれないと悟った信長は、寺に火をつけ自害をした。間違いないな?

 

光秀:はい。間違いありません・・・ごにょごにょ

ー被告人側弁護人、立証ー

弁護人(高桑):確かに光秀は、本能寺に攻め入った。しかし光秀の人柄を考えれば、恩人である信長を突如裏切ることは考えにくい。 そもそも光秀は信長に忠義を感じていた。それは「宗及他会記」(茶道古典全集第 7 巻) から伺い知ることが出来る。

こう記されている。

光秀は茶会を開いた際、床に信長自筆の書を掛け、道具として、信長か ら拝領した八角釜を使った
出典:「宗及他会記」(茶道古典全集第 7 巻)

茶かけの書、釜は茶会において最も大事なものである。そのような場で信長ゆかりのもの を使うということは、光秀が信長に心服していたという何よりの証明だ

 

光秀:そうだ! そうだ!

 

弁護人(高桑):光秀! やかましい! おだまり! また光秀の人柄を証明するにあたり、証言台に立ってもらいたい人物がおります。(もう400年以上前に死んでいるけど)召喚!!

 

光秀の妻「煕子」:どうも〜。夫がお世話になっております〜。光秀の妻「煕子」でございます〜。私はですね、結婚前疱瘡に罹り、顔に痘痕が残ってしまったのですよ〜。もう、最悪〜。 それでうちの実家では、代わりに妹を嫁がせようという話が持ち上がったのですよ。

 

しかしうちの夫はこれを強く拒否してくれたの! 「容貌は変わりやすいもの。だが、心の美しさは決して変わらぬ」とか言っちゃってね。 こんな心優しき夫が、被告人とかマジありえんし。

 

~見つめあう光秀と妻「煕子」~

 

光秀:私は信長様を恨んだり、誰かに指示されたり、野望があって殺害に至ったわけで はありません。引き金となったのは長宗我部元親の存在が大きい(※以下で解説していきます)。私には、元親を見殺しにすることがどうしても出来なかったのだ

 

信長:へ?! じゃあ俺が殺されたのって、光秀のことをキンカ頭(ハゲ頭)って弄ったか らとか、蹴飛ばしちゃったからじゃないのん?

 

光秀:お前もたいがいハゲとるがな。

 

信長:・・・・ということは、四国説が引き金になったのだな・・・(キンカ頭って弄ったのを、根に持っていると思ってた・・・)

引用:morimiya.net

 

※上図は信長が光秀を足蹴にしている浮絵だが、これが引き金になったのではない。

検察官:四国説!? それ初耳ですので一旦閉廷として、調べてきます!

 

本能寺の変から遡って「四国説」を考える

 

本能寺の変が起こったのは、天正 10 年 6 月 2 日。 ココから少し遡って、光秀が「いつ」信長殺害を決意したのか見ていこう。

本能寺の変:9 日前の光秀と信長

私たちも、本能寺の変から 9 日前にタイムスリップしてみよう。

ときは天正 10 年 5 月 24 日(28 日という説もあり)。光秀は以下のような連歌を詠んでいる。

時は今 天(あめ)が下しる五月哉(かな)

以下は京都大学に所蔵されている連歌資料のひとつだ(写本) 光秀の詠んだ連歌が載っているのがわかる。

参考文献:京都大学附属図書館所蔵 古典籍(古典大系) 『天正十年愛宕百韻』

 

連歌とは鎌倉時代から始まったとされる日本伝統の詩形の一つである。詳しい説明は、ここでは端折らせていただくが、光秀は本能寺の変が起こる 28 日前、愛宕山で開かれた連歌会 に参加している。

 

ここから、光秀の心情が伺えるのだ。

時は今 天(あめ)が下しる五月哉(かな)

出典:京都大学附属図書館所蔵 古典籍(古典大系) 『天正十年愛宕百韻』

一見すると、呑気で平凡な連歌である。 これを少し曲がった解釈で訳してみると、あら不思議。謀反の決意が垣間見られる連歌となる。

 

まず、時(とき)とは、明智光秀の出身「土岐氏」に置き換えられる。‘天が下’は文字通 り「天下」。‘しる’とは『支配する』という意味だ。それを踏まえたうえでもう一度見てみよう。

 

「土岐氏である自分が今、天下を取るべき五月となった」

 

と解釈されるのである。呑気で平凡な連歌が一転、不気味になってしまった。

 

この解釈はあながち間違いではないだろう。しかし、物事には常に側面があるのだ。目の前 のことだけを見ていると大けがをする。 ただ解釈するだけでは、なんと強欲で冷淡。まさに悪者=光秀というイメージの出来上がりである。

私たちが考えるべきは、「なぜ」この連歌を詠んだのか? だ。

 

本能寺の変から 9 日前:この時点で光秀は、信長の殺害を決意していた。

 

四国説~態度をコロコロ変える信長

 

ここからは少し話が具体的なものに変わる。私は、光秀が信長殺害に至った理由を「四国説」 が最も有力であると言い切った。その根拠について述べていく。

主な登場人物は、信長を除く以下三名だ。

 明智光秀
 斎藤利三
 長宗我部元親

3人の関係性については、簡単に図を作成してみた。

四国説について

三者は婚姻、養子縁組を重ねた運命共同体ともいえる間柄であった。難しく考える必要はない。仲良しだったのだなーと、簡単な解釈で以後読み進めてもらえると、今後の話が分かりやすくなると思う。

 

さて、信長は全国制覇を目指していた。 そこで、四国の実力者である元親に目をつけたのだ。 信長は、元親と以前からの知り合いであった光秀を橋渡し役とし、元親を味方にすることに成功。

 

テッテレー!!仲良し三人組の中に、信長も加わった。

四国説について

なのに!! だ!  なのに!

大事なことなので 2 度言ってみた。 元親が四国で勢力を伸ばしているのを知ると、信長は危機感を感じる。

 

そして元親に「四国を渡せ!」と言ったのである。信長、かなりのワガママボーイである。 元親からすれば「おいおいおい!何言っちゃってんの!? 自分、さっきと言ってることが変わっとるがな」である。

 

当然、関係も急激に悪化。

 

元親も、売られた喧嘩は買ってやろうじゃん!という強気の姿勢であった。しかし 1 月 15 日、本能寺の変から 5 か月前。利三から元親と近しい関係にあった武将へ「信長とは闘うな!」という書状が送られてくる。

 

本能寺の変:10~12 日前の光秀と信長

 

本能寺の変から 12 日前、5 月 21 日。 信長との関係が悪化していた四国勢の元親より、

阿波の一宮城などから退きました

四国説
出典:林原美術館に眠っていた戦国時代の新出史料

と書状が届く。『信長の要求通り四国の城を渡す』ということだ。つまり『信長の言うこと聞くから、元の仲良し四人組に戻ろう?』という元親の粋な提案である。

 

その上で、せめて土佐に近い 2 つの城と周辺の土地だけは領土として認めてはくれないだろうか?
と、元親は光秀のとりなしで、信長に領土の保証をしてほしいとお願いをする。

 

しかし信長はこれを拒否。

 

光秀は本能寺の変決行の 10 日前まで、信長と元親の仲を取り持とうと、交渉を続けていた。 そんな光秀の思いも届かず、信長は四国攻めを決定。その日がまさに天正 10 年 6 月 2 日 (本能寺の変、決行日)に決まっていたとされる。

 

つまり・・・

光秀の心が変わった(信長殺害を考えた)のは、本能寺の変から 10 日前だ。

 

革命のファンファーレを鳴らす決意!

 

元親は信長の要求をのみ、城を渡すという提案をしたのだ。 それなのに、なぜか信長は四国攻めを決定。 光秀の心の声を代弁するのであれば、こうであろう。

 

「うっそ?! 信長、意見はコロコロ変わるし、元親は城渡すつってんだから、別に四国攻め る必要なくね? よく考えたらハゲ頭だとか、気に食わないことがあると足蹴にするわ・・・。元親と信長を 天秤にかけたら、間違いなく私は元親を守りたい」

 

そんなわけで、運命共同体ともいえる元親を守りたかった光秀は、信長殺害を決意したのである。

 

革命のファンファーレを鳴らす決断をしたのだ。

 

歴史について新聞

出典:『朝日新聞』夕刊 2014-06-24

元親が信長に臣従を示した書状も見つかっており、信ぴょう性は高いだろう。

 

さいごに:光秀は悪人だろうか?

 

主君に反旗を翻したのは間違いなく光秀だ。

 

しかしそこに至るまでの間、信長は光秀を裏切ってはいないだろうか?

 

先に裏切ったのは信長なのではないか?

 

そもそも光秀の橋渡しがあったからこそ、元親を味方にすることに成功したのだ。
それを信長が勝手に危機感を感じ、元親との関係性を悪化させたのだ。光秀は必至で仲を取り持とうと交渉を続けたではないか?

 

光秀と運命共同体ともいえる間柄であった元親を、攻め殺そうとする信長。「元親を守りたい! 阻止しよう!」そう思うのは人として当然の感情だと私は思う。

 

元々、光秀は茶を好み連歌を詠む文化人であり、戦国の世には珍しく軍人気質のない男だ。内閣にも精通している知的な人物であることは、書籍や書物から伺い知れる。

 

信長から罵倒されようが、からかわれようが、足蹴にされようが耐えていた光秀だ。しか し、元親を危険にさらそうとする信長に対しては、耐えることが出来なかった。

 

 

これこそが本能寺の変という、戦国史上最大のミステリーを引き起こした要因だと私は断言する。

 

 

結論・・・

光秀、めっちゃいい奴。(結論が雑!)

おしまい

■参考文献■
『茶道古典全集第7巻』千 宗室(天王寺屋会記他会記 1959年)
『「本能寺の変」は変だ!』明智憲三郎(文芸社 2016年版) 『本能寺の変431年目の真実』明智憲三郎(文芸社 2013年版) 『天正十年愛宕百韻』京都大学附属図書館所蔵 古典籍(古典大系)
『明智光秀 つくられた「謀反人」小和田哲夫(PHP研究所1998年)
『石谷家文書 将軍側近の見た戦国乱世』浅利尚民 内池英樹(吉川弘文文館 2015年版)
『本能寺の変〜信長の油断・光秀の殺意〜』 藤本正行
『朝日新聞』(夕刊 2014-06-24)
(洋泉社 2010年)
『明智光秀』奥村恒次郎(国立国会図書館 1910年)
『明智光秀は冤罪だった』金子昌訓( ) 『中日新聞』(朝刊/岐阜県版 9-29)
PHP研究所
ミックス 2017年版)
一粒社 2015年
『歴史街道』(
2017 年 11 月版)
『信長を殺した男~本能寺の変 431 年目の真実』原案:明智憲三郎(ヤングチャンピオンコ

『完訳フロイス日本史2 織田信長編 信長とフロイス』ルイスフロイス、松田毅一、川崎 桃太(中央公論新社 2000年)
『本能寺の変と明智光秀』洋泉社編集部(洋泉社 2016年版) 『神戸新聞』(2017-6-21)

 

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